2012年 04月 30日
コートのリメイク
haricoのひとりごと・・・『写真』私は写真に執着しない。旅行にも、持って行かなきゃって言う感覚があまりない。ブログを書いてるから、ネタにって思うけど、ホントの事言うと撮る「意味」が分かっていない。子供の成長も、皆の真似して撮ってる感じでした。しかし、この間テレビで、被災地のカメラ屋さんの事をやってました。もうそこまで津波が来ているのに、カメラのデータを命からがら取りに帰ったそうです。そしてこの度、写真集ができました。そのカメラ屋さんは、町にある普通のカメラ屋さん。時間があったら、町の人の何気ない表情や風景を撮っていた。そう、今は何も無くなってしまった風景ですが、写真の中にはそのままあるのです。3、11前に亡くなった旦那さんと見た桜並木、今では根刮ぎえぐられてしまった。心の中の映像よりも写真はくっきり、はっきり桜並木は残ってくれている。涙を流し喜んでいるおばあちゃんの姿を見て、写真の有り難さがよく分かった。もう1人、漁師だったおじさん、全て流され現実を受け入れられず、奥さんとの日課だった散歩にすら行かず、部屋にこもり泣いていた。しかし、この写真集に震災前魚編みを手に、万遍の笑みのおじさんの顔があった。なんとその1枚の写真で、おじさんは過去を受け入れてしまった。そして、明くる朝奥さんと散歩に行くのだ。
自衛隊が、泥まみれになった写真をかき集めるシーンが思い出された。記憶の断片を集める大切な作業だったのだ。記憶喪失になると、不安になる。認知症になっても不安になる。記憶というのは、「私」を保つ為の装置なのか。保つというより、支えてもらってるのかもしれない。