

haricoのひとりごと・・・ハルカイの中間テストの結果が出ました。この間ブログで書いた通りカイトは現実を真正面から受け取って、自己評価よりも少し上の結果。ハルトは、現実逃避で「おい、大丈夫か〜」の結果でした。しかしハルトが言ったコトバに笑ってしまった。「おかしいな〜、あんなに頑張ったのに・・・」・・・・どんだけ周りが見えてないんだろう。しかし、普段使わない脳回路を使ったらしく、試験明けは頭痛で寝込んでしまったほどだから、やりきった感はあったんだね。ご苦労様でした・・・・。


そうそう、面白い話、隼雄先生の相づちには相当の心の解放力があるらしく、タクシーに乗られても「ふんふん、そうなの・・・」なんて言っていると身の上話をされて、運転手さんは話したくてたまらなくなるらしく、遂には遠回りしだし、その上お代は取らなかったそう。。。気を抜くと、こうなるらしい。スゴイでしょ。。。私も相づちだけて心の解放ができるようになりたいよぅ。



haricoのひとりごと・・・また髪を切った。正真正銘クレラップ少女のようになってしまった。襟足が異常に長い私は、刈り上げを余儀なくされ下を向くとワカメちゃんになる。事の発端は、髪の長い頃、お団子ヘアーが長い間定着し、髪型と崩れた体型が母と瓜二つの為、ウチの住人が見間違うからだ。母と娘ってのは厄介で、母親ってのは(ウチだけかもしれませんが)娘を支配下に置こうとする。そうした方が事の運びがスムーズなのだが、自己否定をされながら生きていくのは辛い事でもある。そうした呪縛から結婚し、出産し、時を経て、母の存在が遠くに見えた時に、「自分とは何か???」との問いかけの答えが漸く分かりかけてくる(まだ、全然分からないけど)。そして、ハタと気付いた時に、母からの愛情をふんだんに注がれ、今日シレ〜〜〜〜っとした顔で何の心の痛みもなく平穏に生きている。この感謝を自分の誕生日に母に照れながらも「産んでくれて有り難う、私は名前の通り幸せだ」とメールした。母からのメールは「その名前は母が尊敬する指導者の名前、その方から幸せになって欲しいと名付けた」と返ってきた。幸子は、母の意向で付けたのだとその時にやっと理解した。幸せとは、私が思うに気付く事だと思う。埋もれてるもう身の回りにあるもの。髪型は母とまるっきり違うけれど、猫背で歩く姿はまだ染み付いている。これもDNAなのだろう。先を歩く私のDNAの行く末まで、今度は私が愛情を注ぐ番なのです。


haricoのひとりごと・・・先週観た日曜美術館の彫刻家「佐藤忠良」は良かった。今週も日曜8時に再放送します。まったく興味がなかった彫刻の世界。テレビを観る前と観た後で、私の彫刻に対しての世界が変わりました。佐藤忠明さんで有名なのは、私も知ってる絵本、「大きなカブ」の挿絵です。その事は後で触れますね。佐藤さんの彫刻は自然の中で共存する人間の強さみたいなものを表現されていると思います。大工の棟梁だったり、母だったり、人生がにじみでた表情の彫刻。美術館内に多数の首だけの作品の彫刻が置かれた映像は、当時の人の面影がそこにあるようで、タイムスリップした感覚に襲われます。また、自然の美しさに謙虚に平伏す姿勢も、番組内に出てくる佐藤さんのコトバにも、いちいちシビレマス。大きなカブでは、そんな佐藤さんを全て網羅していると感じました。大きなカブ(人間が本当に欲しいモノ)の為なら、普段仲の悪い犬や猫、ねずみまでも協力する、人間とはそういう生き物なのだ・・・と言ってるかの様。そして労働に対する美しさも同時に語っていると思います。最後に芸術とは、隣人を愛する心とも・・・ナビゲーターは柳田邦男さん。彼のナビのコトバは本当に陶酔できます。


haricoのひとりごと・・・今日はハルカイ生まれて初めての中間テスト。A型真面目人間な2人は、出来ないながらに今回のテストは、小学生の時のテストとは違うってのは分かってるらしい。言わなくても、プレッシャーに駆られて自主的に勉強するようになった。ま、成果は別にしても、その姿勢だけで私は感動する脳天気な母なのだ。昨夜は、頭に全く入らないと焦りだし、目が吊り上がっているのが分かった。いつもの時間に寝るってのも脳みそにプログラミングされているから、余計だ。私が「ママの中学生の時は夜の2時までやってたから、まだ時間があるよ」と言うと、気を持ち直し「ね〜ママ、一緒に起きててくれる」と可愛く言われると、私は弱く「じゃ、夜食作ってあげるね♡」となるのである。さて当日をむかえ、カイトは肩を落胆させて帰って来た。「全くできんかった」・・・この人は現実を見れる人。一方ハルトは「結構できた!!」・・・・多分この人は思い込みで見込み違いが激しい人。しかし時にプラスに出る時もあるので一概には言えない。こうして、大人への階段を一歩経験して行くのです。。。。楽しいね、子育ては。

haricoのひとりごと・・・BSの「グローバル・ビジョン」という番組で世界の仕立て屋の特集がありました。オーストリアの77年の歴史を持つ老舗、アラブ首長国連邦の野望をもつ若きオーナー、小さな島国セントルシアは地域に密着の肝っ玉かーちゃん。この3つの仕立て屋の2日間をドキュメントする番組でした。オーストリアは老舗でしたが、アトリエは粗雑に生地や型紙が並び、サイズのデーターはノートに記述している。一方アラブではデータはパソコン化しきちんと整頓している、従業員には「丁寧に手間をかけろ」と技術向上に余念がない。ボタンまで糸で手作りしている。セントルイスは、型紙もあるのかないのか、感性とかーちゃんの気前でお店は繁盛している(私はこの人に近いね)。スカートにアイロンの焦げを付けてしまったと、泣きつくお客さんに白のリボンで隠し、更には「気持ち」としてもう1本黄色のリボンをサービスして付けてあげる。今や、地球はグローバル化。どこも、同じ景色になりつつある。これを食い止めるのは土着化した文化。文化、俗習からのそれぞれ人間のアイデンティティが定着します。私も、日の丸を背負っての世界の仕立て屋なのです。




haricoのひとりごと・・・最近、同年代の男の人達と話す機会が増えてます。一応女主人の私なので、1人のビジネスマンとして接してくれてます。一緒に呑んだりすると、悩みとか聞かせてくれるようになってきました。みんなパパの顔と会社での顔を分けていて、苦しそう。調度この世代、上から下からの中間管理職、責任持ちながらも全てを発揮できないゴールが見えない苦しい位置。男は家族を養う為に、歯を食いしばって働いているんだなと、尊敬の念と物悲しさ(ごめん)を同時に感じました。人は生まれる前の最初の選択が「男」と「女」。その時点で、双方別々のマトリックスで思考されます。同じ視点になる事は、あり得ない。だからこそ、お互いを信じ励ましてないものを補うんだけど。当たり前の世界に浸ってしまうと「女」のマトリックスだけで完結しようとしてしまう。それは「女」というマトリックスが全ての視点になり、「男」のマトリックスを否定というより無視することに陥りやすいです。難しく考えないで、自分は「男」「女」のそれぞれの視点て見ていると自覚するだけでいいのです。