以前お客様宅にお電話したところ、ご主人様がお出になられました。私が「ハリコ・クチュールと申しますが・・・」と言うと「あ〜。いつも、お世話になってます。」と答えが返ってきました。全くお会いしたことがないんですけど、お洋服を通して感情が伝わってくる幸せを感じました。。。。もしや、ご自宅でご主人様の前でファッションショーをされているんでは?とイメージが湧いてきました



haricoのひとりごと・・・・昨今、コトバは氾濫している。本を読まなくなったとは言え、携帯やパソコンの普及でコトバは以前より確実に、身の回りを囲んでいる。この間熱田神宮に行ったとき、ベンチに「ご自由におすわり下さい」と書いてあったのにも驚いた。内心、「そんなこと書かなくてもいいのに・・・」と思ってしまった。この間アメリカ人の英語教師のお客様がいらっしゃった。日本語の話で盛り上がった。日本語は、主語がなくても通じる。「誰が」「何が」にそんなにこだわらない。そのことを、またお客様にお話したら「ウチの息子は、動詞までもない」とのこと。「お茶!!」(これは名詞ですね)とお茶を要求するのだそう。ハルカイに至っても、その主語も動詞もままならず学校の面白話を教えてくれるのだが、まったく通じない。
コトバは人と人の心を繋ぐ道具として使われます。道具の使い方を知らないと怪我するし、使い物にならない。特に日本語はコトバの羅列をイメージ化して読み取る力を要求されます。私達はかなり高度な技を身に付けて、社会で暮らしているのです。
それ故にコトバに疲れ、操られてしまう傾向も否めません。たかがコトバされどコトバですが、美しいコトバには心が洗われることもあります。このコトバの選択をしているのは、ご自分です。コトバのイメージは自分をも形成してしまいます。まずは意識を持って発するから始めたいものです。。。。
ピンクの色もラベンダーピンクでとっても綺麗♡本番はki-fuさんが、髪飾りと腕飾り、あとリボンの中心にも可愛いアレンジメントをアクセサリーのように付ける予定です。あ〜見たい!!また、お写真見せて下さいね。
おめでとうございます。。。末永くお幸せに♡




haricoのひとりごと・・・朝晩と涼しくなり、夜には鈴虫も鳴き出した。うん、夏も確実に終わりに近づいている。私は夏が苦手らしく、毎年やる気がなくなり、寝てばっかり、そんな自分が嫌いになり・・と落ち込んでしまうのだが、2年前くらいから「私は、夏は冬ごもりならぬ、夏ごもりする人」と自己肯定してやった。そしたら堂々とダラダラして、堂々と仕事の進みも悪く、堂々と体調も悪い(笑)しかし、気持ちは全く落ちない。・・・それで、いいのだ!こうして8月も終わりを告げようとしています。

haricoのひとりごと・・・・今日は自宅でサロンをやっている、アロマセラピストのリカさんが精油を使ってリーディングをしてくれました。りかさんのお話では、植物は人類が誕生する前から存在していて、その記憶が私達のDNAに組み込まれているとのことです。今日はギャラリーがたくさんいて、悩みを相談するには恥ずかしくないかな〜って思ったんですけど、意外や意外。。。。リカさんが聞き上手ってのもあると思うけど、重い口がペラペラ喋っちゃう。ギャラリーも便乗してあれこれ言うもんだから、グループセッションみたくなってすごく楽しかった!!香りって不思議。「この香りを想像して・・・見える景色は???」なんて問いかけられると、ちゃんとビジョンが見えるのです。私が差し出された精油は「人参の・・・なんだっけ?」その香りを嗅いで「倉庫に置いてある大きい壷の油」と想像した私。。。リカさんは「赤い砂漠がどこまでも続く風景」と想像。みんなが同じ風景を想像することもあるし面白いのだ。haricoの5周年に出店してくださるので、興味がある方はセッション受けてみて下さいね。
最近世を賑わせている「メンタリズム」心を科学する、心理学や医学、スピリチュアルなど混ぜて心を読む技。私は、心理学とその手の本は一線を引いています。メンタリズムは心を意図的に誘導することで、こちらの都合の良いほうに相手の心を動かすこと(間違ってたら、ごめんなさい)。心理学は、相手の心の癖に寄り添い一緒になって治癒したり、見守ることのように思っています。
日本人初のユング派分析心理学の第一人者の河合隼雄さんの言葉で、「人の心ってどこまで分かるのですか?」の問いに「分かってたまるか!僕らは最大限の努力はします、心理療法は命がけの仕事なのです。」と答えるのが印象的。
理想は、どこまでも果てしなく広がる器になること。それは、お客様の心に限りを作らない為にも、十分羽を伸ばせる広い器になること。
器を広くするには・・・・必要な知識を接種して、感性を磨く。知識を増やしてばかりだと、頭でっかちになって、頭で動くようになる。感性だけで動くと周りが見えなく、冷静な判断ができない。
知識や感性が武器になってはいけない。知識や感性が役立たなければ意味がない。
・・・・といいつつ、頭でっかちな私ですね(笑)

「愛」にはいろんな「愛」があり、愛の量、愛の質などによっても変わってきます。
愛し過ぎると見返りを要求するし、質が悪いとDVになったり束縛しようとしたり。
溺愛、博愛、慈愛、情愛、貧愛・・・・言葉にもかなりの愛の形があります。
言い過ぎかもしれないけど、人は死ぬまでの間全て「愛」について勉強をしていると思っています。名声や富の為ではなく、死に際は「愛とは・・・」の問いにどこまでアンサーできたか?そして、私は「愛することができたか・・?」勉強と実践、この交互を繰り返し人は完成形を目指し、生き抜くのだと思います。
この本の中で一番好きな文を抜粋しますね。
まっすぐに歩いて行こう
この道は、どこへつづいているのか。
それは、伸びて行く植物の蔓に聴いたほうがよい。
蔓は答えるだろう。
「私は何にも知りません。
しかし、伸びて行く方向に陽が当たるようです。」
さようなら
「パンドラの匣」より




haricoのひとりごと・・・夏の始めに鹿児島の主人の祖父が危篤状態になった。今でこそ、持ち直し笑っていられるのだが、その時はとても心配した。祖父と祖母は、とても人間的で温かく、夫婦で支えながら、昔話に出てくる様な山の奥地で暮らしている。年をとり身体も不自由になり、田舎暮らしは健康でないとやっていけない。本当に2人は片方がいなければ生きていけなく、お互いに依存して同化して2人で1人で暮らしていたのだ。祖父が持ち直したのは、私の思い込みかもしれないが、人一倍寂しがりやな祖母を1人にはしておけないという愛の塊。普段そんな「愛離苦別」など考える環境でない私は、この障害に強靭なフリをしていた心がもろく崩れた。そして、祖父は病院に祖母は叔母の家に、しばらく、もしくはこのまま、この生活を続ける。
日常は、なだらかに流れ昨日も今日も明日も変化がないような気にもなる時もあるが、青天の霹靂のようにガラッと流れを変えてしまう時もある。家族はまた夫婦は、その流れに浮き輪を付けて手を繋ぎ流されてる様な気がする。「別れ」とはその手を離すこと。・・・まだ繋がってる手の感覚を確かめて、今日も日常をできれば緩やかに流されたい。

haricoのひとりごと・・・小さいときから胸の前に手を合わせて、神様にお願い事ばかりしていました。今から思うとしょーもないことを、限りなくね。お願い事っての当たり前だけど未来が自分の好きな方に向いて欲しいということ。いつしかシゴトも忙しいとのことで、未来も過去も考えなくなった(考えられなくなった)。もっと言うと、何も望まなくなった。「今」に集中し、bestを尽くすと結果は良くても悪くても受け入れられる。幸いに大抵良い結果に終わってしまうのだけど、たまに悪いことがあると、そこには私が学ば(反省)しなければならないことが、あるのだから有り難く思うのです。そうして、神様に願うことは全くなくなってしまいました。
この神様に願うというのは意識的なことで、無意識なところでは「今」を発信地に「未来」に向かって一瞬一瞬、無意識に願っています。私はそちらの方がもの凄く威力があると思っていて(だって回数にしたら雲泥の差よ)、いかに無意識のレベルで自分の行きたい方向に導けるか・・・!ちゅう変な意識をしています。
思えば、私はいいも悪いも思った通りの生き方をしています。それが何よりの証拠なのです。