魂が物質ではなく、エネルギー体だと頭ではなく感覚で理解できた時
境界線が消え、光であることがわかった
魂のバトンタッチ、肉体で繋ぐバトンタッチ
肉体は朽ち果てるが、光はそのまま、経験を積んで賢くなる、いや
楽しんでいる....
わたしはいつまでもこどものまま
大人のフリをしたこどものまま
目で見る、肌で触れる、声を聴く・・・輪郭をたどる、確かめる
『何の為に?』
まだ解けぬ愛の方程式
一つだったモノが無数に広がり右往左往しながら
この方程式を問いている
魂のバトンタッチ、わたしはみんな、みんなはわたし。
楽しんでいる・・・・方程式は未だ解けない

最近よく作るSUBWAY式サンドウィッチ。パリジャンにはさむだけ!!

恵方巻きか!!

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haricoのひとりごと・・・映画『TIME』と『スカイ・クロラ』レンタル屋さんに行って借りてきた2本、思わぬ共通があり驚き。。。『TIME』は未来、遺伝子操作され25歳の若さのまま生き続けるには時間を稼がなきゃならないシステムへの逆襲劇。『スカイ.クロラ』は大人にならないキルドレという遺伝子操作された子どもが戦争ショーのために使われ、(静かな)逆襲する話。。。。内容は細かく言いませんが、どちらも考えさせられる映画です。老いを嫌う世相の行く末、時間が流れる=老い朽ちていくことがいかに自然なことで素晴らしいことなのか、私はそんなことを考えてしまった。(たぶん、映画とはあんまり関係ないかも)3次元的に老いて行く様がもたらす秩序は意味があるんですね〜。時間とは何か?ってことも考えてしまいます。・・・・本当は映画の内容も話したいのですが、長くなりそうなのでやめます(笑)。お正月、時間があったら見てみて下さいね〜♡

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男子6人、何を話しているか興味津々の私。1階の仕事場で聞き耳を立ててました(ウチはどこにいても何を話しているか、聴こえてしまう家なのです)。そしたら意外にも
最初の話は進路の情報交換。成績をみんなで言い合ったり、将来の夢を語ったり・・・・みんな、しっかりしてるな〜と聞いていたら「きゃり〜ぱみゅみゅって言える?」って言い出して、みんな順に言ってったり、後は恋ばな。なぜかカイトがしつこくみんなに聞きまくる。彼はこういううわさ話を収集するのが好きな悪趣味癖がある。夜になってフリーメイソンやら宇宙人の話が好きな子が好きそうなテレビがやってたもんだから、みんなで見て、恐い場面が出たら「ぎゃ〜〜〜〜!!」って本気で怖がる中1男子達。その後、オセロ大会。。。。気が付いたら夜10時。お化けの映像を思い出して、一目散に帰って行きました。楽しいクリスマス会でした〜♡



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haricoのひとりごと・・・『手帳の高橋』毎年この季節になると、手帳の高橋のCMや広告が面白い。その広告で心に響いた格言のコンテストが新聞に載っていた。大賞ではではないが「ここが地球というところだよ。楽しんで」という格言に目が止まった。小さいお兄ちゃんになったばかりの子が、生まれた赤ちゃんに向かって言ったコトバだった。子どもの目線で出たコトバと思いがちですが、42歳のオバサンの私も同じ目線で同感しております。「楽しむ」というコトバには、気持ちがいいことをする、ウキウキすることをすると断定してしまいますが、大きな意味で捉えると「苦しみ」が「楽しみ」と同じことになってきます。
例えば、マラソン選手なんてあんな苦しいことをしていても、「走るって楽しい」とも思えます。私に置き換えても、休みがなくいつも仕事に追われてますが、服作りは楽しいみたいな。生まれ落ちた以上死ぬまで、魂は成長を望みます。これは種が芽を出し葉をつける自然の摂理と同じです。「苦しい」と思うことは、そこを脱して成長したいという魂の叫びです。この叫びに逃げても逃げても、逃げきれることはできません。それを全部踏まえて「楽しむ」になります。悲しみ苦しみ怒りの涙は、実は魂が成長する喜びの涙でもあるのです。時代は変わっていきます。今まで人のせいにして、自分を防御することができていましたが、他人との境界線が無くなることで、全て自分に跳ね返ってきます。逃げ場がないからこそ、向き合って「楽しむ」方向に持って行きたいと思っています。

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haricoのひとりごと・・・『マヤ陰暦』2012、12、21マヤ陰暦がこの日を境に終わっている。天文学的に言っても太陽系がフォトンベルトというドーナツ型の磁場にすっぽりと入ってしまうために何か起るのでは..,と色々言われています。スピリチュアルな世界でもしきりに「アセンション」(次元上昇)と噂されています。私は科学的現実的に、不思議なことを探究するのも好きですが、スピリチュアルの非科学的に感覚的に不思議なことを探究するのも好きです。どちらの方向からも、今のこの「境目」を自分なりに検証して体験していきたいと思っています。
私が思うところ、マヤ陰暦はキリがいいから「ココまででいいか〜」って終わっただけです(笑)たぶん。フォトンベルトも、不確かだし地球に対してどうなるか証明できてないから考えなくてもいいかな。でも「アセンション」は、個人的には「あり」だと思っています。私はスピリチュアル的に言うのではなくって、ただ単にインターネットによって宗教感、国家の慣習などや文化の縛りが解け、意思の伝達が速くなり、情報も入手しやすくなったのが一番の要因だと思っています。また、生命危機感からも保護され人間の追求は「心」へと向かっていきます。DNAでもその思考のバトンタッチが行われ、より濃い思考にシフトしていきます。別に特別な力がつくとかそういうことではなく、元々あったものが目を覚ます様な感覚だと思います。元々とは、宇宙ができる前の状態のことです。忘れがちですが私達は元は一つだったのです。それがビックバーンが起こり分裂した。皆の言う「神」(harico的にはソースのようなものとしています)という存在も私達の中にいることになります。自分に自信がないとか自分なんてという人は、自分の中の「神」の力を自分の意志で使ってないことになります。テレパシーやセレンディピティも、元は1つだった説を利用して作動するのではないかと思っています。宇宙は大き過ぎます。でも、自分も宇宙の1つ。自分を探究することは宇宙を知ることになります。「アセンション」に乗れるか、乗れないか、ではないと思っています。未だ未だ話したいことが沢山あるのだけど、「自分を知る」ってのは漠然として分かりにくいですよね。私は「愛」が知る為の良き材料だと思っています。「愛」とは何か?を探究すれば、それに付随し自分とは?宇宙とは?も解けるのではないか?と真剣に思っています・・・・。

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haricoのひとりごと・・・最近気付いたこと。「人からどう思われたいか」というファッションと「自分が楽しむ」ファッション、ファッションを外側から見るか?内側から見るか?私は中肉中背で身長も159センチで普通のサイズの為か、人からこう思われたいという概念がない。例えばウェストを細く見られたいとか、胸を大きく見せたいとか。しかし大抵の人はファッションの眼の錯覚を利用して、細く見せたいとかスタイルをよく見せたいという願望が大きい。逆に内側から見るファッションは、素材感やデザイン、色などにこだわり大好きなアートを纏って楽しむ感覚。私はそっちの感覚人間だったので、正直スタイルをよく見せる気持ちがわからなかったんです。でも職業柄アドバイスしなくてはならないのと、自分と肉体を離して見るようになってからは外側から見るファッションも面白くなってきました。ファッションは自分のパーソナルを現す皮膚のようなもの。鳥でいうと羽のような役割です。付け替え可能の羽を纏った人間。美しい羽を纏うことで自分に自信がつくということもあるんです。いや〜、人間でよかった♡

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haricoのひとりごと・・・『ついてない』昨日はお休みで、材料を買いに色々と飛び回ってました。前の日に何を買うかリストを作って、買うものと合うかどうか見たいのでお直しのお洋服も用意しておきます。私は朝起きるのが苦手で、ギリギリまで寝ています。電車に飛び乗ろうと慌てて出た為、前日書いたリストも電話も忘れてしまった。生地屋さんに行っても欲しい生地がなかったり、さっきまであった生地が無くなったり、「ついてない」。昼食もとる時間がなかったから、駅前のローソンで大好きなハーゲンダッツのマカダミアンでも買って帰ろうかと思って行ったら珍しく売り切れでした。ココで「ついてない」判子を太鼓判された様な気がしました。トボトボと家路を歩いてたら50メートル先からずーっと私を見ている知らないオバサン(おばあさんかな)。私の顔をじーっと見て、「かわいい、かわいい」と言って「あんた素敵よ!」と言われてしまった。なんかめちゃくちゃ嬉しかった!!「ついてない」シーソーがどんと「ついてる」方に傾いた。コトバってすごいな〜って、感動してその話をハルカイにしたら「シ〜ン」とした。かわいいって表現が42歳のオバサンと結びつかないようだ。まあ、いい。しばらくこの嬉しさの余韻に浸ろう。。。。

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