


haricoのひとりごと・・・『体育祭』中学最後の体育祭が行われた。私もパパも仕事で見に行けなかったが、その日を迎えるまでのハルカイをずっと固唾をのんで見守ってきた。というのも、水田家ののび太君が年に一度ヒーローになれる特別な日だからだ。去年3年を押さえて優勝したハルト、今年も死守できるのか、はたまたカイトリベンジか、毎日の速報を待つ。145センチがハルトの記録で、友達のR君が「150センチ」を跳んだ速報が入る。焦ったハルカイであったが、体育祭前日になってRくんからまさかの「誤報」と聞かされ「頼むから負けてくれ!」と言われたらしい(笑)。当日カチンコチンに緊張した2人を見送る私も、ドキドキ。その日私は洋裁教室で、現場を離れられない。生徒さんが「じゃ、私が見に行ってくる!!」と中学校まで行ってくれました。「ハルト君、優勝!!カイト君、準優勝!!」とメールも届き、大喜び♡
ハルトはルンルン♪カイトは悔しくて「俺、高校入ったら高飛びする!!」と宣言。何はともあれ、おめでとうの乾杯をしてお祝いしました。

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思えば私の人生の岐路にいつも芽里さんが登場して、助けてくださって、導いてくれました。まだ、閉店の実感がわかないけど・・・・・でもファイナルセールの店内に私が作ったサンプルのドレスがあって、何だか昔の私に逢ったような気がして、ここまで連れて来てくれたのは芽里さんなんだな・・・と感謝の気持ちがあふれてきました。27日はお疲れさまパーティにおよばれして、お店の上の会場に行きました。舞台のようにお花や木に囲まれて、その中にウェディングドレスを着た芽里さんがいました。まるで妖精のようで、芽里さんの創るドレス達のイメージの集大成!!絵を切り取ったみたいに、とっても素敵でした。お祝いに(だと思います!)来てみえた方々も素敵な方ばかり、カイトも「おしゃれなヒトばかりだね」と目をパチクリ。芽里さんの10周年のファッションショーにハルカイを連れてった時、初めて「ファッション」の違いを実感したカイトだけに、今回も刺激を受けてました。
「創る人芽里」さんから「芽里さん」に・・・本当にお疲れさまでした。これからもずっと、私の師匠でいてください♡それと旦那さまとお幸せに♡




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表にもアップリケのように、アクセントにしてみました。たまにはカッコいいコートを作るのも、楽しいものです。スリットや袖口をめくると、裏地が見えてまたカッコいい。お父様の思い出が詰まったコートができて、お客様も「完璧だわ!!」と喜んでいただけました・・・嬉しい♡
リバーシブルにはならないのですが、表と裏が同じ寸法の即裏は、弛みが出る分超難しいです。
何度も裾の出来上がりに納得いかなくって、やり直しました。そんな試練もゴールのデザインが見えてるからこそ、頑張れます。ホントのこと言うと・・・完璧ではないな、未だ未だ精進の余地はございます。




haricoのひとりごと・・・私はスポーツなど全く興味がなく、観戦するのでさえ熱を上げたことはなかった。しかし今頃になってハルカイがバスケに没頭している様を見ていて、スポーツにおけるメンタルと技術、身体のバランスにおいて、社会生活に足りない学びがある!!と感心して、今年は高校野球にはまり、世界柔道にも涙した。。。。運動音痴の私が言っても説得力がないが、理屈の前に身体をつかって技術を身に付け、メンタルも毎日することで起伏を平常化する。これって、haricoでやってること。どんな難しい場面でも、落ち着きいままでの自分を信じて、いつも通り。もちろん、真面目でストイックだけではダメ。リラックスするような「笑い」や「休み」も必要不可欠。仕事もスポーツも身体を動かしている点では、同じなのかもしれない。
スポーツは当たり前だが揺るぎないルールがある。しかし仕事にも漠然とルールがあるものの、個人の価値観に偏る。だからこそ「マニュアル」を作り統制化を計る。スポーツはルールに基づき「勝ち」「負け」の決着をつける。仕事は「勝ち負け」ではない。そのような相違はあるものの、向かっている最中の「心技体」の状態はかなり似ている。
「心技体」のバランスがいいときスポーツ同様「いい汗をかいた!」と思えるのだろう。

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さんは魔女みたいですよね」と言われます。魔女って、どんなイメージなんでしょ。怪しい?暗い?意地悪?・・・いいイメージじゃない?・・・あんまり深く考えないでおこう。笑




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haricoのひとりごと・・・虚弱体質なのに、ウィンドーショッピングをさせると何処までも歩ける特異体質の私。その日も伏見から矢場町矢場町から栄、久屋大通まで、しかもデパートのはしごです。その後大塚屋に生地を買って、名駅でまたウィンドーショッピングを繰り返す殆どおバカ。でもそれがそのままお仕事に反映するので、一石二鳥なのです。別に仕事の為〜なんて肩苦しいこと考えてないのだけど、それだけ一遍に見ると、今の流行性が垣間見れるのです。ファッションはパリコレで行われる最先端から徐々に民間が着れるファッションに流れが行き届くまで時間がかかります。途中その流れが合流し、右も左も同じ格好、すなわちこれが流行とカテゴリー化されるのです。この間見てきた感じですと、今年は「縞」なんですね。しかも黒と白。一見タイガースファン?と突っ込みたくなるくらい。それと「フレアースカート」、私の若かりし頃はやった円形スカートです。ウェストの細さを強調する為、ここ最近はシャツをinするようになりました。そこで笑い話。小さな男の子を育ててるママから、シャツをinしようか迷う!だそうです。そうなんですよね・・・ハルカイの幼い時代は、inしてるとダサイと言われてました。時代が変わりつつあるんですね。面白いでしょ。
涼しくなって、オシャレしたくなるこの季節、ぶらりとウィンドーショッピングがオススメです。私が思うに今年はファッションの大変革が起こってると思ってます。流行とは真逆の多様性ということもあるのだけど、より自分らしいファッションを探しに冒険しにいくのもいいんじゃないでしょうか♡

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この映画、実はホラー映画なのですがレンタル屋さんよっては恋愛映画ジャンルに置いてあったりするそうです。私は映画は大好きですがホラーだけは観ません!でもなぜかこの映画だけは気になっていたので、恐る恐る観てしまいました。ところはスウェーデン・ストックホルム。北欧ならではの雪に覆われた幻想的な舞台で起こる吸血鬼のお話。主人公の少年オスカーの透き通るような肌と、吸血鬼エリの中東系のくっきりとした目、対照的な印象がこの映画にぴったり!!でホラーなのに絵本を読んでいるようでした。エリは220歳で吸血鬼なので人間の血で生きています。狩りは同居している中年のオジサンが行います。このオジサン、狩りがヘタクソ。計画性0です。白夜の中、住宅地からそう離れてない見通しがよい林の中で狩りをします。手慣れてはいるものの、直ぐ見つかってしまう。その辺もこの映画の面白いところ(笑)。エリは人間に見つからないようにひっそりと市営住宅のようなよころにそのオジサンと暮らしています。その隣にオスカーが住んでいます。オスカーはいじめられっこです。相当酷いいじめを受けています。彼は友達も居ず、趣味は殺人を犯した事件の新聞の切り抜き。そんなオスカーとエリが出逢います。エリの奥にある「暴力的」な魅力と、自分を犠牲にしてもオスカーへの愛情(友情)を優先させる心の「美しさ」の魅力が、オスカーを虜にしてしまいます。そうして2人は、
男女のジェンダーも越え、吸血鬼と人間の境界も越え、結束していくお話。
このお話をお客様にしたところ「すべてに境界線がないね」と言われました。そ−−−なんです!!
それもこの映画の面白い見方のところ。昼と夜、男と女、人間と吸血鬼・・・・オスカーの両親は離婚しているのですが、お父さんもお母さんもいい人で、なにも離婚する理由がなさそう。しかしオスカーがお父さんの家に遊びに行ったときに、オジサンのお客さんが現れる。楽しかった空気が一気に変わる。映画ではなにも説明がありませんが、たぶん、お父さんはゲイです!ネタバレしますが、エリも男でも女でもありません。オスカーはゲイのパパを持ち、殺人に興味のある少年ということになり、エリにはピッタリな条件。そんな深い関係性もこの映画のストーリーに重みを出しています。未だ未だ語りたいことはいっぱい!!(長くなってすみません)是非ご覧下さいね♡


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haricoのひとりごと・・・『勇気のベクトル』私の好きな心理学者アドラーは「勇気づけの心理学」として有名です。何事も勇気が発端で人生は変わっていくと書いてあります。しかし勇気にはいろんな角度によって他に対する影響力が異なってきます。勇気とは他者に対して、異質なものを突き刺すことをさしていたり、逆に異質なものを助ける作用があったりと、使い方によって『構築作用』と『破壊作用』と結末が変わっていくのです。また勇気を出して言ったこと・・・・これ、相手の為に言ったこと「構築作用」と思い込んでいたら、自分の不満を相手に言い放っただけであり「破壊作用」でした・・ちゃんちゃんってコトもある訳です。・・・これは外なる勇気のベクトル。
さて、ウチなる勇気のベクトルは自分に対しての勇気です。自分を客観視することから始め自分を他者としてみた時に、「勇気」をつかって今までの凝り固まった方向を変えるのです。「変わった!!」と実感するとき、何が起こるか・・・それは今まで気になっていたこと(悩み事)が全く気にならなくなる。でも人間は悩みたい動物です。そしてわざわざ新しい悩みの種を生み出し、また「勇気」を持って解決していきたいと思ってしまうのです。・・・・面白いね!

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笑えるし、秋の夜長にはいいかもっ♡


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取手は皮を用いたので、肩からずり落ちにくくなってます。喜んでいただけると、いいな・・・


haricoのひとりごと・・・『しあわせはどこからくるの』どんな悪いカードが集まっても、ゲームはもう始っている。このギリギリの状態で「私はしあわせ」って言えるか言えないかは、自分で決める。どんなに良いカードが集まっても「まだまだこれから何があるか分からない」って「私はしあわせ」って認めないこともあるのだから。戦争もなく、安全な先進国、家もあって、食料もある。健康な身体、日常生活に困らない程度の知能、服だってオシャレできる。手に入れてるものは大したことない、手に入らないものを欲し続け、手に入ったら「しあわせ」と認めるのか?それは持続しないだろう。縁あって私の手にある、モノ・コト・ヒト・全て・・・・きっと『感謝』できるなら、そこから「しあわせ」はやってくるのだろう。老いて何もできなくなっても、お天道様に「感謝」することができるなら、私は「しあわせ者」なのだと思う今日この頃です。

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haricoのひとりごと・・・家から50歩のコンビニのドアは、自動ではない。いわゆる観音開きのドアである。この間入ろうとしたら、小学3年くらいの女の子がドアを開けてくれた。私達の後、何人か続けて入ってくる間中、女の子はドアを持ち続けていた。女の子の優しさが伝わってきて、なんか嬉しくなる。エレベーターに乗るとき、エレベーターガール役を率先して請け負う性格の人がいる。私はどっちかと言うとそのタイプだ。「誰がやるの?」的な空気になるのが嫌なので、やってしまう。しかし、開閉の文字やら、マークを直ぐに判断できず、逆のボタンを押し顰蹙(ひんしゅく)をかうこともあるので、迷惑かもしれない。それはさておき、その小さき人の気配りがたまらなく愛おしく感じる。この間も伏見に行った帰りの電車で、塾帰りの近所の小五の男の子と一緒になり、隣に座った。疲れ切った私は言葉が浮かばず、会話にならないと思ったが、その子は気を遣って色々お話してくれた。最近あった出来事、ハルカイのこと・・・44歳の私と10歳の男の子の共通点は非常に少ない。なのに、私に合わせてお話してくれる。小さき人の気配りに、ホント癒される今日この頃の私です。

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