お店と全く関係のない、プライベート年賀状。コロナ禍で年賀状の需要は上向きと聞いたが、我が家ではだいぶフェードアウトしている。この場に及んで年賀状を出さなかった方々を思い出し「どうしてるんだろう・・・?」と思ってしまう(のに、出さない)。年賀状だけで続いているご縁というのは、日本独自であり尊いものだったのだと、面倒くさがりの私は今、思い知る。その少ない年賀状を書きながら思ったのは、文字が出てこない事と言葉が出てこない事。年々衰退していく脳みそのシワの数が、顕著に現れていた。そういやそうよね、老眼で本も読まなくなって、それどころかあんなに好きだった映画も集中して見れなくなっている。その分、感動する心も萎んでいるのかと思うと、なんだか寂しくなる。
さて、年賀状の話に戻ろう。昨年はハルトが20歳の若さで入籍したことが我が家の大ニュースでした。なのでスポーツ新聞のようにレイアウトしました。高校までのハルトはどこか頼りなく、運が悪いところがあって放っておけない存在でしたが、鹿児島に行ってからは逆に逞しくなり、私の手を出すところはなくなりました。カイトも大学に入ってから建築の虜になり、それが「勉強している」ということと認知しなくなってるほど。カイトも私が手を出さなくても生きていけるようになってしまった。・・・・私の子育てはおそらく「あとがき」だけになりつつある。
あとは自分の人生だけを考え、生きていけばいいだけの「身軽さ」。おっと、両親の介護が残っている。夫と私の両親は頗る丈夫だ。先日実家に帰り、密な時間を過ごした。耳が遠くなり、頭の回転は遅くなった2人だが、人生謳歌するジャンルがあるとすれば彼らは上級者だと思った。庭に行けば父が作った見事な庭園が、家に入れば母が作った見事な貼り絵がある。また一人暮らししている友達らを訪ねて、父のポンコツカーで市民プールへ行き、皆で泳ぐそうだ。詩吟の講師もしている両親でもあるので、週に何度か教えにも行く。そのルーティンもいつまでできるか分からないが、もしかしたら紙一重なところまで来ているのかもしれない。
コロナ前「いつでもできる」から後回しにしていたこと、「いつでもできるわけではない」ことがコロナ禍で分かる。「今」がこんなにも貴重なのか。だからこそ「今、伝えたいことを伝えよう」と思えるようになりました。私が伝えたいことは、ファッションを通して世界を見ることで、何が見えたか?を伝えることかな。「ファッション」って言葉の意味には、お洋服だけじゃなくインテリアなど生活まで含んで。日本だけでなく地球での目線で思うこと。私みたいなちっちゃい存在でも思うことが「何か」になるかもしれない。あとの人生はそんなテーマになりそう。皆さんの2021年、どんな始まりですか?これから始まる長い旅、一緒に頑張りましょう!!

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